今私達の住んでいる世界が、実は、高次文明の作ったシミュレーションの中に存在するなどと言うことがあり得るのでしょうか?真面目に学者が考えた結果、無いとはいえないどころか、その可能性はかなり高いようなのです。
コンピュータ技術の発展はめざましく、シミュレーションの精度もどんどんあがっています。
気象現象の予測をするために、地球をシミュレートしたものまで存在します。
科学分野ではシミュレーションを使った研究も盛んに行われるようになりました。
ただ、今現在の技術で宇宙全体をシミュレーションし、中の登場人物に意識が目覚めるなどということはありません。
しかし、もし、私達の科学技術を超えて発展した文明があったとしたら、それが不可能と言うことはできるのでしょうか?
「私達に似た存在が作ったコンピュータ・シミュレーションの世界に私達が生きているなどということかあり得るのか?」という問題を真面目に考えたのが、オックスフォード大学の哲学者ニック・ボストロム教授です。
そして、その疑問に対してあり得るという結論を出しています。
ただ、あり得るだけでなく、かなりの確率で真実であるとも考えているのです。
ボストロム教授の理論は、シミュレーション仮説として知られることになりました。
本物同然のシミュレーション世界
宇宙にはまだ見つかっていないだけで、私達の文明そっくりの世界が存在していると考えてみてください。
その中には私達の技術力を上回る世界があって、文明が発達する前の世界をシミュレーションしたコンピュータシミュレーションを作れるものとします。
そのシミュレーションの中の文明は私達と同じレベルで、登場人物は私達そっくりです。
彼らには意識があり、触ったり味わったり、動いたり匂いを嗅いだり、幸福や悲しみを感じたりできます。
しかし、彼らは自分がシミュレーション世界にいると気づく方法はなく、外に出る方法もありません。
ボストロム教授によれば、シミュレーション世界の住人が自分がシミュレーションの中にいるとわからないとするなら、私達もまた、自分たちがシミュレーションの中にいるかどうかわからないことになると言います。
わたしが、シミュレーションの中には居ないと推測し、あなたがシミュレーションの中にいると推測しているとして、どっちがより正しい推測なのでしょう。
現実の過去は一つしか無いとしましょう。
対して、未来に生きる高次文明の人たちは、いくつもの異なった種類のシミュレーションを同時に立ち上げることができます。
そのシミュレーションの数を20万としたとすると、私達が行う推測ゲームのサイコロの目は20万もあることになります。
現実を振り当てるのは20万のうちのたった一つの目でしかないのです。
私達はシミュレーションなの?
ということは、私達はシミュレーションの中にいるということでしょうか?
そうとはかぎりません。
シミュレーションの中にいるという推測は、高次の存在が現実にいて、シミュレーションを動かしているという仮定をもとにしています。
それほど発達した種族がいたとして、意識が生まれるようなシミュレーションを動かすということはあり得るのでしょうか?
それがありえないとすれば、私達の世界がシミュレーションである可能性もなくなります。
また、もし意識が生まれるシミュレーションが可能であるとして、はたしてそれを行うでしょうか。
シミュレーションを動かすことに興味を持たないとすれば、私達がシミュレーションの世界にいる可能性もないでしょう。
これまでの議論から、わたしたちには3つの選択肢があることになります。
- 技術力が高次にある種族が存在し、私達を生み出せるようなシミュレーションを多く動かしている。
- 技術力が高次にある種族が存在し、シミュレーションも作ることができるが、何らかの理由で、それを動かしていない。
- 技術力が高次にある種族がそもそも存在しておらず、私達を生み出せるシミュレーションが存在しない。
この3つの選択肢がすべてであり、他の選択肢はなさそうです。
しかし、あなたは、私達の世界がシミュレーションでは無いことを示すような理論を見つけてきて、この意見に反対しようと考えるかもしれません。
例えば、この世界がビックバンから生まれたことから、シミュレーションでは無いと主張するとどうでしょう。
しかし、それは、シミュレーション仮説の選択肢1の範疇に収まり、反証とはなりません。ビックバンの段階からシミュレーションされていると考えればわかるでしょう。
なので、3つの選択肢しか存在せず、この中のどれかが必ず正しいということになります。
では、どの選択肢が正しいのでしょうか?
残念なことに、それを決定できるだけの十分な証拠を私達はまだ持っていません。
無関心の原理
いくつかの選択肢があって、その中のどれかを信じるに足る証拠が十分でない時、それぞれの選択肢を等しく信頼しなければなりません。
シミュレーション仮説のように等しい信用を選択肢に置く例を、哲学者は「無関心の原理」と呼んでいます。
あなたがクッキーを机において、部屋を出たとします。
戻ってきた時、クッキーはなくなっていました。
部屋にはあなたの他、知らない人が3人います。
最初にあなたは、知っていることを精査するところから始めなければなりません。
あなたは、部屋の中の誰かがクッキーを取ったことを知っています。
もし、その中のAさんが以前にクッキー泥棒で捕まっていたとすれば、彼の仕業だと推測できます。
しかし、今回の場合あなたは誰のことも知りません。
とりわけ誰かを犯人に仕立てることは公平だと言えるでしょうか?
言えないでしょう。
宇宙は広がっている
シミュレーションの議論に戻ると、3つの選択肢のどれかを選ぶには、情報が不足しています。
わたしたちにわかっていることは、もし選択肢1が正しいとすれば、私達の世界がシミュレーションである可能性が非常に高いということです。
選択肢2や3が正しいとすれば、私達は現実を生きていることになります。
このように、ボストロム教授の議論によると、私達がシミュレーションの世界に生きている信頼度はおよそ3分の1ということが言えそうです。
ちなみに、コイントスで表が出る信頼度は2分の1で、世界一大規模な宝くじであたりが出る信頼度は、3億分の1です。
ただ、今後の研究による発見で、この信頼度は変化する可能性があります。
何の情報がどのようにして見つかるのかは、全くわからないのですが。
自分が本当に現実なのか否かは大きな問題ではありますが、現実問題生きている私達にとっては、自分がシミュレーションであったからと言って何ら変わるものではないでしょう。
高次存在が電源に足を引っ掛けて世界が切れてしまう心配が増えるというのはあるかもしれませんが。
参考記事: The Conversation
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